財宝の在処は里謡にある!?謎に包まれた「佐々成政の埋蔵金伝説!」を追え!

埋蔵金伝説…日本各地に存在し発見すれば一夜にして億万長者です。

今回のミステリーは日本に眠る埋蔵金伝説の1つ「佐々成政の埋蔵金伝説」です。

 

佐々成政は戦国時代の武将で「さらさら越え」をなし得た人物。

そして悲劇の武将として知られています。

 

そんな「佐々成政」が隠したとされる埋蔵金は未だ発見されず眠っているとされています。

実はこの埋蔵金の在処を示すとされる謎の里謡が存在している。

 

謎の里謡は埋蔵金の在処を示す暗号なのか!?

様々な憶測が飛ぶ「佐々成政の埋蔵金伝説」を紹介!

 

さらに埋蔵金を発見した場合どうなるのか?

など謎に包まれた「佐々成政の埋蔵金伝説!」に迫ります!

佐々成政

佐々成政は尾張の土豪、佐々成宗の三男として誕生。二人の兄がいたが二人とも戦死してしまいます。その結果、1560年(永禄3年)25歳で比良城主となります。翌年、敵将であった稲葉又右衛門(稲葉一鉄の叔父)を池田恒興と共に討ち取り勲功を挙げる。1567年(永禄10年)に黒母衣衆の10人の筆頭となりました。1574年(天正2年)に長男「松千代丸」を長島一向一揆の戦いで亡くす。1575年(天正3年)長篠の戦いで前田利家らと3000人の鉄砲隊を指揮しています。1575年(天正3年)織田信長に府中近辺を与えられの「前田利家」「不破光治」と共に府中三人衆に数えられる。1582年(天正10年)に本能寺の変が勃発。1582年(天正10年)信長亡き後の清洲会議において柴田勝家につく。しかし合戦中における前田利家の寝返りもあり、柴田勝家は敗走する。勝家方だった「佐々成政」は娘を人質に出し剃髪する事で秀吉に降伏、越中一国を安堵されています。1584年(天正12年)秀吉の茶会に招かれています。「陸奥守」に任官した御礼に参内している。天正12年頃に徳川方に寝返る。同年、末森城の戦いにて敗北。秀吉と信雄との間で和議が成立して家康が停戦。1584年(天正12年)峠を超えて信州から浜松まで踏破する「さらさら越え」を実行し家康と面会しています。家康の説得に失敗するが反豊臣・前田姿勢を崩さなかった。1585年(天正13年)富山の役で織田信雄の仲介もあり降伏。秀吉の裁定で、命は助けられたが、越中東部の新川郡を除く全ての領土を没収され富山城も破却、妻子と共に大坂に移住させられました。その後、秀吉に仕え1587年(天正15年)九州征伐で活躍し功をあげ肥後一国を与えられました。しかし、早急な改革を行おうとし「隈部親永」を中心とする国人の一斉蜂起を招き鎮めることが出来ませんでした。1588年(天正16年)に肥後一揆を発生させ鎮めることが出来なかった事を謝罪する為、大坂に出向く。しかし秀吉に面会を拒否され幽閉されてしまい、安国寺恵瓊による助命嘆願に耳をかすことなく、成政の切腹を命じられ切腹しています。辞世歌は「このごろの 厄妄想を 入れ置きし 鉄鉢袋 今やぶるなり」1998年(平成10年)に法園寺境内の供養塔の一角に辞世碑が建立されている。

さらさら峠

針ノ木峠は「さらさら越え」と呼ばれ、越中と信州をつなぐ抜け道でした。

天正12年「さらさら越え」を実行。

 

記録に「越中之佐々蔵助浜松へこし候、吉良信雄様御鷹たか野のニ御座候、御礼申候」

現代訳「越中の佐々成政が浜松まで来た。吉良で織田信雄様が鷹狩りをしている。そちらへあいさつに行った」

 

という記録が残っています。また信雄と面会する為、

浜松よりも西の吉良まで行っていました。しかしながら隠密行動の為、正確なルートや人数等は分かっていない。

埋蔵金とは?

埋蔵金とは何処かに隠され埋められたりされ行方がわからなくなっている財宝の事です。

中でも最も有名な埋蔵金を日本三大埋蔵金というらしい。その日本三大埋蔵金と云われているのがこの3つである。

  • 豊臣秀吉の埋蔵金
  • 徳川家康の埋蔵金
  • 結城家の埋蔵金
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埋蔵金を発見した場合

ここで気になるのが、もしも…埋蔵金を発見した場合はどうなるのか?その疑問についてですが、もしも、埋蔵金を発見したら…

地中に埋められた埋蔵金の場合

もしも、運良く財宝を堀当てた場合は、「大蔵物の発見」(民法第241条)に基づき財宝は遺失物扱いになります。

そして、警察に届けなければなりません。6ヵ月待ち所有者が名乗り出なければ、財宝を発見した土地の所有者と折半になります。

自分の土地ならば…

ミステリー探求心

全て貴方のものです!!

海底に眠る埋蔵金の場合

財宝が海底の場合は警察に届けるのではなく沿岸部の各市町村になります。

そして、財宝が剥き出しの状態ならば、6ヵ月間、船内に残っている状態ならば1年間の期間、

所有者が名乗り出なければ…

ミステリー探求心

全て貴方のものです!!

日本国内には戦後から約50件程の埋蔵金の発見報告があります。

雑学探求心

世紀の大発見ホントにあった埋蔵金!埋蔵金伝説をご存知ですか?伝説となり歴史の闇に埋もれていった、伝説の埋蔵金…。夢みたい…

佐々成政の埋蔵金伝説!

佐々成政の埋蔵金伝説の始まりは秀吉に攻められ落城。

落城寸前に城中から秘かに小判百万両を持ち出し立山山中に隠したという伝説が伝えられています。

 

その黄金には笹の葉模様が押されていて49個の壺につめて埋めたされています。

「佐々成政の埋蔵金伝説!」そんな財源はあったのだろうか?

 

実は彼が統治していた天正13年佐々越中新川郡には

松倉金山や亀谷銀山「七かね山」などが存在していた事から財源はここから得ていたと考えらる。

 

ここで「佐々成政の埋蔵金伝説!」について深掘りしていこう。

「佐々成政の埋蔵金伝説!」と深い繋がりがあるとされる謎の里謡。

 

古くから歌い継がれている何処にでもあるような里謡である。

しかしこの里謡が埋蔵金の在処を示す暗号なのでは?という説がある。

 

そして埋蔵金の隠し場所がある洞窟の説など…

様々な憶測が飛ぶ謎に包まれた「佐々成政の埋蔵金伝説!」を紹介していきます!

謎の里謡は暗号!?

「佐々成政の埋蔵金伝説!」と深い関係があるとされる謎の里謡がこれだ…

「朝日さす夕日かがやく 鍬崎に七つむすび七むすび 黄金いっぱい光りかがやく」

この黄金いっぱい光り輝くなんて…ワクワクするじゃない?欲望がうずきますね~。

これは財宝のありかを示す暗号…だといわれています。

まず埋蔵金は49個の壺に分けて隠したとされています。

この里謡をみて気づきましたか?そぉ~なんです!

ミステリー探求心

「七つむすび七つむすび」

というところです。これは7×7=49で49個の黄金の壺を差し示すとされています。

そして…

ミステリー探求心

「鍬崎」

この「鍬崎」は「さらさら越え」を指しており、立山連峰の山の一つだといわれています。

埋蔵金の在処

そして気になる埋蔵金の在処は…平家の落人の集落、富山市有峰の洞窟だという説。

いや…洞窟かい!!ってなりますね。

 

待ってください、「鍬崎」この山、

岐阜県飛騨市の桑崎山ではないか?という説もあります。

 

これは里謡に出てますね。

しかしながら、真相は謎に包まれています。

おおやま佐々成政戦国時代祭り

富山県富山市大山町では「佐々成政の埋蔵金伝説!」から町おこしの一環として

「大山佐々成政戦国時代祭り」が毎年7月下旬から行われています。

 

「佐々成政戦国時代武者行列」 「佐々成政埋蔵金探し」をメインイベントに

子供神興・薬師太鼓などが繰り広げられる楽しいお祭りです。

 

こちらの埋蔵金は本物ですよ!是非大山町へお越しください。

…住んでへんし行ったことないけど…。なんか凄く楽しそうです!

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財宝の在処は里謡にある!?謎に包まれた「佐々成政の埋蔵金伝説!」を追え!まとめ

佐々成政の埋蔵金伝説!この伝説の重要な鍵となる里謡、

確かに魅力的な文面で黄金の在処を示しているようにも思える。

 

しかしながら七つ結びをかけて49っていうのは…。

若干信憑性に欠けると思う。そして何よりも凄いのは「さらさら峠」を越えた事。

 

こちらもまた真偽の程は謎ですが事実だとすれば相当凄い。

「佐々成政の埋蔵金伝説!」彼の財宝の行方が洞窟というのも非常に面白い。

 

未だ発見されずどこかに眠っているのかもしれません。

謎に包まれた里謡を解読し埋蔵金をゲットできるかも!?

「佐々成政の埋蔵金伝説!」歴史のミステリーに思いを馳せてみてはいかがでしょうか?