隠された財宝は「聖杯」!?謎に包まれた「テンプル騎士団」の財宝伝説とは?

中性ヨーロッパで活躍した騎士団「テンプル騎士団」最強の騎士団でありながら悲劇の騎士団としても知られています。また「テンプル騎士団」は謎が多く実は「聖杯」を手にしていたのではないか?という伝説があります。今回のミステリーは中性ヨーロッパ最強の騎士団「テンプル騎士団」の財宝伝説です。「テンプル騎士団」が隠したとされる数多くの財宝伝説…神殿の地下やヘラクレスの柱、オーク島の伝説を紹介!「テンプル騎士団」の財宝の行方はどこに?彼らの財宝は「聖杯」なのか!?謎に包まれた「テンプル騎士団」の財宝伝説に迫ります!

テンプル騎士団

テンプル騎士団とは中世ヨーロッパの騎士修道会です。1119年に創設された。エルサレムへ巡礼に向かう人々を護衛するため設立されました。正式名称は「キリストとソロモン神殿の貧しき戦友たち」日本語で「神殿騎士団」や「聖堂騎士団」など呼ばれています。

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~テンプル騎士団~

中性ヨーロッパで活躍した最も有名な騎士団にして悲劇の騎士団「テンプル騎士団」ここで伝説の「テンプル騎士団」の創設から栄華そして最期までを見ていきましょう。

創設「キリストとソロモン神殿の貧しき騎士」

1118年「ユーグ・ド・パイヤン」が仲間と共に「キリストの貧しき騎士」を結成。彼らの任務はヨーロッパからエルサレムへの巡礼者を聖地まで安全に護衛する事だった。修道士でありながら騎士だった。瞬く間に彼らの存在は広まり多くの人に評価されました。これが「テンプル騎士団」の創設といわれています。

テンプル騎士団の栄華

1177年モンジザールの戦いにて「イスラム軍」を撃退し、イングランドの獅子心王「リチャード1世」やフランスのフィリップ2世らと戦場を駆け抜け「テンプル騎士団」の名を世に知らしめた。テンプル騎士団の死をも恐れない勇敢さと強さは恐れられた。イベリア半島でも対ムスリム勢力戦にも参加し名誉と名実ともに中性ヨーロッパで栄華を誇った。

テンプル騎士団の莫大な資産

中性ヨーロッパで栄華を誇っていた「テンプル騎士団」数々の戦場で名を馳せたが、やはり一番は莫大な資産を有したという事です。世界で初めて銀行の制度を確立しました。巡礼者を護衛する際、盗賊などから襲われる前に財産を預けるといった金融業務を行なった。

現存する「テンプル騎士団」の会計帳簿は羊皮紙が8枚、ラテン語で記帳された現金日記帳、多くの種類の帳簿があったとされています。現在確認されているのは11種類です。この金融業は騎士団の金庫に金を保管するため安全であると信用され業務を拡大していった。

やがてフランス王室も「テンプル騎士団」に口座を開設、高い信用を得た騎士団はローマ教皇法王庁の口座をも開設していました。13世紀頃、十字軍の財産が「テンプル騎士団」に預けられていると云われ莫大な資産を有した。そんなことから常に莫大な資産を隠しているのではないか?と噂されるほどであった。

テンプル騎士団の悲劇の最期

中性ヨーロッパで栄華を誇っていた「テンプル騎士団」ですが、彼らに悲劇が訪れる。フランス王フィリップ4世の欲望が爆発するのである。2つの騎士団「テンプル騎士団」と「聖ヨハネ騎士団」を合併させ、自らが頂点に立ち聖地を再度征服しようと企むのです。

しかし、当時、フランスはイギリスとの戦争により多額の負債を背負い慢性的な財政難であった。この時の債権者が「テンプル騎士団」であった為、債務を無きものにし莫大な財産を奪う計画だったとも云われています。フィリップ王は「聖ヨハネ騎士団」と「テンプル騎士団」の合併を打診「テンプル騎士団」騎士団総長ジャック・ド・モレーはこの要求をのみませんでした。次に「異端審問方式」の裁判にかけ有罪にしようと企む。「異端審問方式」であれば罪もない「テンプル騎士団」を有罪に出来るからです。

異端審問を行うには教皇庁の認可が必要になるのだが、教皇クレメンス5世は既にフィリップ王の息がかかっており容易に認可となった。そして「テンプル騎士団」の入会儀式における男色行為、反キリストの誓い、悪魔崇拝といった容疑をかけ有罪へと持ち込んだのです。1307年10月13日「テンプル騎士団」は一斉に逮捕される。栄華を誇った「テンプル騎士団」は不当な罪をかぶせられ悲劇の最期を迎えました。さらに1314年、口封じのためにテンプル騎士団団長ジャック・ド・モレーら幹部4名は処刑され事実上「テンプル騎士団」は解体となった。

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テンプル騎士団の名誉回復

「テンプル騎士団」の名誉は19世紀に至るまで回復されることはありませんでした。しかし、1813年フランスのレイヌアールが疑問を呈した事で、研究が進み1907年ハインリヒ・フィンケが「彼らの罪状は事実無根で、フィリップ4世が資産狙いで壊滅させた」と発表されました。当時「自白」するまで拷問を行ったり異端審問の立ち会い人がすべてフランス王の意のままに動く高位聖職者だった。

そして「テンプル騎士団」は異端の汚名を着せられたのです。現代では「テンプル騎士団」に対する異端の疑いは完全な冤罪で、裁判も不公正なものであったとカトリック教会の公式見解で発表されています。2007年にローマ教皇庁が「テンプル騎士団」の裁判資料を公開し「テンプル騎士団」の名誉は回復されています。

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テンプル騎士団の財宝伝説

1314年テンプル騎士団団長ジャック・ド・モレーが処刑され実質「テンプル騎士団」は壊滅した。だが、「テンプル騎士団」には財宝を隠したとされる財宝伝説が存在している。「テンプル騎士団」の莫大な資産と彼らが守っていた財宝。それは「聖杯」ではないか?と云われています。「聖杯」を持つ物は世界の覇権を制するなど、様々な伝説が存在しています。ここで「テンプル騎士団」の財宝伝説を見ていきましょう!

神殿の地下

「テンプル騎士団」の任務は聖地巡礼者の護衛です。しかし、それ以外に目的があったという説が存在しています。19世紀末チャールズ・ウォーレンが謎の地下トンネルを発見しました。このトンネルが何故掘られたのか?「テンプル騎士団」は神殿の地下発掘をしており何かを探していた。

そして、1127年騎士団が承認され帰ってきた初代団長ユーグ・ド・パイヤンに「任務は達成された」と伝えたという伝説があります。彼らは神殿の地下で何かを発見したのでしょうか?それとも隠したのでしょうか?その何かとは「聖杯」であったという説があります。

財宝の行方

「テンプル騎士団」が一斉に逮捕されていくなかで逃れた「テンプル騎士団」たちがいたとされています。彼らは「悪名高い島に宝物、遺物を埋めた」と話したという伝説があります。それから100年後、スコットランドに逃れた「テンプル騎士団」の子孫「ヘンリー・シンクレア」が大西洋を謎の航海したという記録が残っている。

また、「テンプル騎士団」の財宝を大西洋に面する国カナダのオーク島に隠したという伝説もあります。彼らは大西洋に何故航海していたのでしょうか?

ヘラクレスの柱

「テンプル騎士団」の財宝伝説に「聖杯はヘラクレスの柱の向こうに眠っている」という記述が存在している。

この「ヘラクレスの柱」の向こうは幻の大陸「アトランティス」があったとという伝説も存在しています。海をわたり「テンプル騎士団」の聖杯や財宝は幻の大陸「アトランティス」に眠っているのでしょうか?

秘密の隠し部屋

シュロップシャー・シフノル近くのケイントン洞窟で地下1メートルに掘られた「秘密の隠し部屋」が発見された。見た目はウサギの巣穴に見えるが実は「秘密の隠し部屋」へと通じる抜け穴だった。構造上は作成当時の様子をとどめたまま発見されている。地元の伝説によれば「テンプル騎士団」たちの「秘密の隠し部屋」だとされています。

専門家によるとこの「秘密の隠し部屋」は「テンプル騎士団」が解散した数百年後の18世紀後半か19世紀初頭に造られたもので「黒魔術の儀式」に使用されていたと指摘しています。実際に「テンプル騎士団」の末裔たちが掘っていた洞窟…この世界のどこかに同じような「秘密の隠し部屋」を作り聖杯や財宝を隠した可能性はないとは言い切れない!…のではないでしょうか?

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隠された財宝は「聖杯」!?謎に包まれた「テンプル騎士団」の財宝伝説とは?まとめ

「テンプル騎士団」の財宝伝説は数多く存在しています。「テンプル騎士団」も謎に包まれており「フリーメイソン」との関係も深いと云われています。彼らの財宝が「聖杯」であり今もどこかで守り続けているのかもしれません。確固たる確証もない為、真偽の程は分かりませんが「テンプル騎士団」の財宝伝説は語り継がれ歴史のミステリーへと通じています。

「テンプル騎士団」の財宝「聖杯」は未だ発見されず世界のどこかで眠り続けテイルのでしょうか?「テンプル騎士団」の財宝伝説という歴史ロマンが詰まった歴史のミステリーに思いを馳せてみてはいかがでしょうか?