地底都市は存在した!?古代遺跡「カッパドキア」謎に包まれた地下迷宮とは??

古代遺跡「カッパドキア」世界遺産にもなっている有名な古代遺跡です。

この古代遺跡「カッパドキア」は地底都市となっており、未だに解明されていない謎が数多く存在しています。

 

今回のミステリーは古代遺跡「カッパドキア」です。「カッパドキア」の最盛期から地底都市の内部などを紹介。

そして古代遺跡「カッパドキア」に残る謎や「カッパドキア」が核シェルターだった!?という都市伝説を紹介!

謎多き地底都市「カッパドキア」未だに解明されていない地下迷宮の謎に迫ります!

カッパドキア

古代遺跡「カッパドキア」は1963年ネヴシェヒル在住の男性が自宅の壁をぶち抜いたところ、延々と続く地下迷宮を発見しました。

その後、1965年頃から本格的に調査が入りました。地底深く掘られ「デリンクユ地下都」「カイマクル」などの地底都市が発見されました。

 

それらはすべて繋がっているとされています。さらに2014年に約5000年前の地下都市が偶然発見されています。

農作物を運んだと思われるトンネルや教会なども同時に発見され2020年に「カッパドキア」で最も大きい地下都市として公開されています。

古代遺跡「カッパドキア」は未だ発見されていない未開の地なども多く謎に満ちた遺跡です。

古代遺跡「カッパドキア」

古代遺跡「カッパドキア」は150~200程、地底都市が存在しています。

世界最大規模とされる「デリンクユ地下都市」や「カイマクル」の内部構造について詳しく見ていこう!

そして栄華を誇った「カッパドキア」の最盛期について紹介していきます。

デリンクユ地下都市

「デリンクユ地下都市」は「深い井戸」という意味を持っています。

「カイマクル」や「オズコナック」よりも大きく深さ約85メートル、広さ約4平方キロメートルあり

 

トンネルの長さは30km以上、深部層には多数の井戸が発見されており世界最大規模の地底都市とされています。

1965年に一般公開され現在は地下8階まで見学が可能となっています。

 

また地下16階まで地下空間が存在していることが分っています。

デリンクユ地下都市は一番多い時期で4万人、常時でも5千人~1万人もの人々が生活していたとされています。

カイマクル

「カイマクル」は地下8階から10階まである地底都市です。

主に居住者の多くは迫害されたキリスト教徒でした。

 

「カイマクル」はキリスト教徒の避難所にもなっていました。

敵の侵入に備え避難用のトンネルが存在したり鉄壁の要塞だった。

内部構造

地下迷宮!?

地底都市「カッパドキア」の内部構造は地下迷宮のように入り組み複雑な構造となっています。

地底都市の各層は階段と傾斜した通路で複雑に入り組んでいます。

 

場所によってはかがまないと通れないような非常に狭い場所もあります。

通路はつながっておりまるで巨大な地下迷宮のような構造となっていました。

施設が豊富!?

地底都市「カッパドキア」の内部構造について、石をくり抜いたベッドがある寝室や料理を作る厨房などの部屋が確認されています。

さらに、教会や羊小屋、貯水池、食料の貯蔵庫、ワイナリーまでもが完備されていました。

エレベーターがあった!?

地底都市「カッパドキア」の内部構造について、上下の階に移動する際は滑車を利用していました。

滑車を利用する事によりエレベーターのように上下に移動する事が可能でした。

最下層には…

地底都市「カッパドキア」の内部構造内部について「カッパドキア」の最下層は貯水池が存在するしていました。

貯水しておくことで貴重な水源を確保していました。

換気口は!?

地底都市「カッパドキア」の内部構について、地下での生活の中で最も重要な事、それは換気です。

「カッパドキア」の換気口は通気孔は各階へ通じており楽に呼吸する事が可能でした。

換気口は最も深い場所で深さ約80メートルにも達していました。

鉄壁の要塞だった!?

地底都市「カッパドキア」の内部構造について、実は「カッパドキア」は鉄壁の要塞でも知られています。

通気孔の上部に見張り台が設置されいます。敵が接近し危険が近づいた時は「たいまつ」を落とします。

 

たいまつの明かりが各階へ行き渡り危険を知らせることができる造りにもなっていました。

また直径1.5m程の石うすが入り口に設置され、敵が侵入すると石うすを転がし扉を閉じれる構造になっています。

最盛期

「カッパドキア」の最盛期について最盛期には、約2~5万人が居住していたと考えられています。

「カッパドキア」に関する記述が残っています。それによると「家々は地下に作られている。

家畜のためのトンネルがある。人間ははしごを使っている。家の中で羊や牛、にわとりが飼育されている。

大きな壷にはワインが入っていて、誰でもワインを飲める。」豊かな地下都市として機能していたことが分ります。

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地底都市「カッパドキア」の謎とは?

地底都市「カッパドキア」の謎ついて、世界最大規模の地底都市として知られる「カッパドキア」

至る所に知恵と工夫が発見できる面白い古代遺跡です。この地底都市「カッパドキア」には未だに解明されない謎が

数多く存在しています。ここで謎に包まれた地底都市「カッパドキア」の謎を紹介していきます。

カッパドキア創成時代の謎

地底都市「カッパドキア」が作られた時代が分っていない。当時の碑文や文献、装飾も発見されさていない。

というか皆無。その為、「カッパドキア」の創成時代の年代解明は極めて困難で謎のままです。

地下都市を作った謎

古代遺跡「カッパドキア」は何の為に作られ何の目的で作ったのか…分っていない。

キリスト教徒が迫害され隠れて生活した地下都市ですが、地底都市はキリスト教徒迫害される以前から存在していた。

 

では何の為に…誰が作ったのかが謎のままです。また、直線距離にして約9キロも離れている場所がトンネルで結ばれていることが判明。

どのようにして正確な方角を知ることが出来たのか?謎は深まるばかりです。

完成に費やした時間の謎

地底都市「カッパドキア」は信じ難い規模の大きさです。

これだけの規模の地底都市を完成させた年月はどれほどの期間を要したのか?

大規模な地底都市「カッパドキア」の完成までの年月は判明しておらず謎のままです。

残土の謎

古代遺跡「カッパドキア」の建設時に必ずでる残土。大規模な地下都市建設の際、

掘り出した土や岩はどこに処理していたのか?残土はどこに捨てたのか?はっきりと分っていない謎となっています。

滅亡の謎

地底都市「カッパドキア」の最盛期には約2~6万人が生活していたと考えられています。

当時の人口からすると大都市であった。そんな大都市も衰退していき滅亡してしまい歴史の舞台から消えました。

いったい何故滅亡してしまったのか?様々な説があるが、謎のままです。

未開の地

古代遺跡「カッパドキア」の地底都市は現在36か所が確認されています。

実は未だ発見されていない地下都市が数多く存在しています。

地底都市「カッパドキア」には未開の地が存在しています。地下18階まで確認されており

広い空間があることがわかっています。未だ発見されていない謎の空間も存在している。

地底都市「カッパドキア」の定説

地底都市「カッパドキア」の存在する理由として正確な史実は分かっていませんが、

定説がいくつか存在しています。ここで地底都市「カッパドキア」の定説を紹介していきます。

ペルシャ人説

地底都市「カッパドキア」の定説の一つが「ペルシャ人説」です。ペルシャ帝国の支配下となった後、人々が地下都市を造ったという説です。

伝説のペルシャ王イマが地下に宮殿を建設したという記述が残っています。

ヒッタイト人説

地底都市「カッパドキア」の定説の一つが「ヒッタイト人説」です。ヒッタイト人は鉄器を開発したとされる民族です。「カッパドキア」の地下都市から

ヒッタイト人が使用していた鉄製の遺物が少数ではあるが発見されています。フリキア人からの襲撃を恐れ地下深くに都市を建設したという説です。
フリギア人説
地底都市「カッパドキア」の定説の一つが「フリキア人説」です。この地に王国を築いたフリギア人が最初に作ったとする説です。

当時、フリギア人は高度な技術を持っていました。彼等の技術力であれば「カッパドキア」のような地下都市の建造が可能であったと考えられています。

また、ヒッタイトの遺物が発見されていますが、戦いの戦利品だったと考えられています。

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古代遺跡「カッパドキア」の都市伝説

古代遺跡「カッパドキア」には都市伝説が存在しています。

俄に信じ難い話ですが面白い説です。なんと「カッパドキア」は…

さぁ地底都市「カッパドキア」の都市伝説を見ていきましょう!

核シェルター!?

古代遺跡「カッパドキア」が「核シェルター」になっていたのでは亡いか?という都市伝説です。

古代に核戦争が起きていたというのだ!そして一度人類は滅びそうになったという。

 

その根拠は古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」の記述は核戦争を彷彿とさせる内容であること。

古代遺跡「モヘンジョダロ」の一部が高熱を加えないとできないガラス化した平原を発見していること。

 

さらに「カッパドキア」周辺から高熱で焼け焦げるたレンガや高熱で溶けた粘土版なども発見されている。

そして、「カッパドキア」の地名が地元では「落ちたところ」と呼ばれていたことなどから古代に起きた核戦争の証拠だと主張しています。

核の脅威から身を守るために地下都市を建造した…それならば建造の謎が解け納得がいくのではないでしょうか?

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地底都市は存在した!?古代遺跡「カッパドキア」謎に包まれた地下迷宮とは??まとめ

地底都市は実際に存在していました。古代遺跡「カッパドキア」には未開の地も多く未だ発見されていない空間も数多く存在する事が

わかりました。大規模な地底都市は地下迷宮を形成し侵入者を許さない鉄壁の要塞でもあった。古代でありながら地下を掘り進み

トンネルを正確に繋ぐ高度な技術と知恵は驚かされるばかりです。そして実に興味深い都市伝説…まさか「核シェルター」にまで発展するとは…

古代核戦争…あれこれと想像を掻き立てるのも面白いですね。確証はないのですが、ホントにあったのかもしれませんね。

謎多き地底都市「カッパドキア」これからの研究で解明する日は来るのでしょうか?

地底都市「カッパドキア」謎に包まれた地下迷宮…古代のロマンに想いを馳せてみてはいかがでしょうか?